御由緒
亀岡の旧道の1つとして、老ノ坂から王子、そして篠八幡の脇の道を馬堀から保津川を渡り、千歳山の麓に沿って千歳町毘沙門、史蹟国分寺のある国分、七谷川の橋を渡り出雲客正面に至り、
出雲大神宮神能横より馬路に出てハ木町に抜ける道がある。今にあってもこの道は古き時代の面影を残していて、脇には、格子作りの家か並んでいたり、小さな社や寺の森が点在していたり、
代官屋敷や亀岡藩の家老門をそのまま残す家が見られるひなびた街道である。
その千歳の古道の奥客にそびゆる御神体山(御蔭山)を仰ぐその麓に、元出雲と言われる「出雲大神宮」が鎮座する。「元」が順につけられているのだから、
おそらく島根県の有名な出雲大社より古いと伝えられている。
山陰線亀岡駅を下車して北へ五キロメートル寄ったところに丹波国一宮・延喜式内社・名神大神・出雲大神宮の荘厳なる神庭が見られる。亀岡市千歳町出雲というところにあるこの神社近辺は、
盆地を一望するには、格好の場所といえる。丹波か湖であった時代にも、ここは生活の場として、又、祭祀の場、文化の中心として繁栄していたのではなかろうか。
この出雲大神宮は大国主命とその后神にあたる三穂津姫命をまつる延喜の制の名神大社であるか、本来は本殿の背後に円錐形に美しくそぴえる「御影山」そのものか太古より崇められていたと伝える。
その御影山かいわゆる神体山として、そして。[出雲の大神]として崇められていたのは、われわれの想像以ヒに占い時代からであったようだ。
崇神天皇の時代に大和の三輪山が崇められるようになったが、御影山はその時代よりずっと古くから出雲の大神と敬まわれる神体山としてきこえ伝えている。
そして、この出雲大神か、さらに国史最初、地球最初の国祖と称え奉ることは、我が国神祇道に正史として伝える国常立尊が丹波の国、或いは亀岡の祭神となっていたものと思われる。
この桑田郡がそういう立地条件でもって「神都」となり、ここから大和、出雲両国への文化の伝達もあったと考えられる。
その一つの証しとみられるものに富士浅間神社に伝わる古記録、富士古文書一富士文庫、徐福伝、宮下文書、神皇記一かある。
その中で、太古において国常立尊は天か下に下り、田場の真伊原にましまして桑田の宮(出雲の富)を築かれ、国の半分を農業を主として理想的に統治されたことを統治界の物語りとして書き直し、
詳しく記述されている。国常立尊は蔓じて後に田羽−田場i出雲御神体山に葬られ、そして出雲児女皇らによってその御神体山の麓の祠に祀られる。出雲見女か桑田の宮と国鴬立尊の祠を守護。
この出雲児女皇も苑じた後は御神体山に葬られる・そしてこの毘女は三穂津毘女と示罫れて祠に祀られ、出雲大神と坪ぱれるようになった由も伝えられる。
亀岡はもともと粟国郡に位置しているので、『桑田の宮』に符合する。又、三徳津姫命は出雲大神宮の祭神であることなどを思いめぐらせると、
いよいよもってこの神社が古来より出雲の大神と崇められていたところ、との結論に導かせるのである。そして、田羽山なるもの(谿羽)が神体山の御蔭山に相当するということにもなるであろう。
御祭神
大国主命 三穂津姫命
「だいこくさま」オオクニヌシノミコトとお后様のミホッヒメノミコトをお祀りする。ミホッヒメは高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)の娘神でオオクニヌシ国譲りの際妻となられた。
(『日本書紀』神代紀下、第二に記載有り)
丹波国風土記には[別に説あり]とことわり、天津彦根命(アマッヒコネノミコト)、天夷鳥命(アメノヒナドリノミコト)同座鎮座とある。 また富士古文書(宮ド文書)では、首座は国常立命の神霊をお祀りし、両側の二座に大国主命、三徳津姫命が鎮座しているという内容の記述もある。
三大御神徳
(縁結・金運・長寿)
大国主命 三穂津姫命
だいこくさまといえば、何といっても縁結びの神様として名高い。 これは単に男女の仲を結ぶことだけでなく、人間が立派に成長するように、社会が明るく楽しいものであるようにと、お互いの発展のためのつながりが結ばれることである。だいこくさまが福の神と慕われ、人々から広く深く信仰をおうけになっているのもこのむすびのお力を私達に与えて下さるからである。
また御神体山からの真名井の水を戴くことにより、病を退け、邪気を追い払い、健やかに日々の生活を送ることを長寿につなけ、清き心でそれぞれの生業の遂に励み信奉することで運気も開けるのである。
だいこくさまには、別名が多くあり、
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ)・八千矛神(やちほこのかみ)大穴持神(おおあなもちのかみ)・大国魂神(おおくにたまのかみ)・顕国魂神(うつしくにたまのかみ)・廣矛魂神(ひろほこみたまのかみ)・大地主神(おおとこぬしのかみ)・所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)・奇雍魂神(くしみかたまのかみ)・葦原醜男神(あしはらしこおのかみ)・三徳津彦神(みほりひこのかみ)・伊和大神(いわのおおかみ)・幽冥事知食大神(かくりごとしろしめりおおかみ)・出雲御蔭大神(いづもみかけおおかみ)・杵築大神(きづきおおかみ)
等と申し上げる。
これらの御神名には、それぞれの御神徳があるわけで、大国主命の御神徳が、如何に広く深いものであるかがわかり、福の神として日本の永い歴史にあって変わらない信仰をおうけになっていることが知られる。
主な祭典
● 一月 一目歳旦祭
● 一月 三日元始祭
● 一月十五日粥占祭
● 二月 三日節分祭
● 二月十ー日紀元祭
● 二月十七日祈年祭
● 三月春分の日祖霊社祭
● 四月十八日鎮花祭(通称花鎮祭)
無形民俗文化財「出雲風流花踊」奉納
● 六月三十日夏越大祓(茅輪神事)
● 八月十八日秋祭(法会)
● 九月秋分の日祖霊社祭
● 十月二十一日例祭
● 十一月二十三日新嘗祭
● 十二月二十三日天長祭
● 十二月三十一日大祓、除夜祭
月次祭(毎月)
● 一日、十五目
摂末社等月次祭(毎月)
● 八日 黒太夫社・祖霊社
● 十四日 上の社・笑殿社・崇神天皇社
● 二十三日 弁財天社・稲荷社
● 二十五日 国祖(御神体山)
● 第四日曜日真名井の水感謝祭 えんむすびまつり
出雲大神宮 御由緒書より
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